スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一般意味論

一般意味論 2013/04/28 21:22

http://awareness.secret.jp/sub17/sub17.html

 アリストテレス的分析
 カーシブスキーは、アリストテレスの考えた「科学的」分析方法が、社会的な誤りの原因だというのです。

アリストテレスは、ものごとを分析し、構成要素に分解することで、ものごとの細部まで把握しようとしました。

そうすることで、全体が見えると考えたのです。

このように、物事をバラバラにして、構成要素の中にものごとの本質を見つけ出そうとすることを、「還元主義」といいます。

全体の性質の説明を構成要素の性質の説明に還元するということです。

還元主義では「ものごとを分析するには、『2つに分ける』ところから始めなければならない」と考えています。

A,B,Cの3つからできているものも、まずは、「Aであるもの」と、「Aでないもの」に分けることになります。

そのあとに、「Aでないもの」を、「Bであるもの」と、「Bでないもの」にわけると、3つに分けられます。

ですから、すべての分析は、「そこにあるものが、AであるかAでないかを決める」ことになります。
image1251.gif


「現在、デジタル・コンピュータが席捲し、その弊害として、『白か黒かだけで、灰色を認めない』人間が増えている」と言われます(じつは、わたしもそのように評価された人間のひとりです)。

それはコンピュータの発達のためではありません。

アリストテレス以来、ずーっと「科学」的思考にまとわりついてきた問題です。

コンピュータのせいにしている人自身が、「原因はコンピュータか、そうでないか」しか考えていないのかもしれません。

人間は同時に2つのことに注意を向けられません。

ですから、2つのものがあれば、1つを選んだ方が考えやすくなります。

しかし、それは「世界」がそのようになっているのではなく、自分が考えやすいようにニ者択一をしているのかもしれません。
この「2つに分ける」考え方を、二元論といいます。

アリストテレスは二元論の始まりを作りました。

この二元論はデカルトまで引き継がれました。

デカルトは、科学革命の時に、物事を2つに分析することで、物理的な「世界」をうまく扱うことができました。

しかし、生き物の「世界」では、二元論は単純すぎました。

生物は白黒の2種類ではなく、カラフルな世界に生きています。

ときには、一人の人間の中に「まじめな人」と「ひょうきんな人」が共存しているのです。

アリストテレスが「科学的に」と考えて採用した「二元論」が、人間をゆがめて見せているとコージブスキーは感じました。

自分が体をもっていることに気づいているでしょう?

自分の外側に「世界」があることにも、気づいているでしょう?

そして、ときどき、自分が思っていたように「世界」が動いていないことに気づくでしょう?

なぜなのでしょう?

「自分が感じている世界」と「実際に存在する世界」に「ずれ」があるのかもしれません。

だとすれば、自分の「外側の世界」を「あるがまま」にとらえることが必要です。

自分が感じているのは「内側の世界」です。

「外側の世界」をあるがままにとらえるためには、「自分が何を感じているか、何を知っているか」を知っていることが必要です。

そのためには、自分の「内側の世界」と「外側の世界」をつなぐものについて、知らなければなりません。

image12a.jpg


あなたはなにを感じていますか?
突然聞かれても困るでしょうか?

多くの人は自分が何を感じているのかを知りません。

そんなことを知らなくても生きていけるのです。

でも、自分が「何を感じているのか」を理解すると、もっと楽に生きられるかもしれません。

ちょっと、時間をとって、「自分は何を感じているのか」を感じてください。

「正解」を得ようとしないでください。

ただ、「感じている」ことに注意を向けてみましょう。

自分は「何を感じているのか」は、「言葉」をつなぎ合わせて「考える」ことではなく、ただ、あるがままを受け入れることです。

 今、「何」を感じていますか?

多くの人が、「自分は『世界』を直接感じている」と思っています。

では、いわゆる五感について、調べてみましょう。

触覚では、ものに触れていることを感じます。

人間の皮膚はすべて、表皮という角化した細胞で覆われています。

ですから、皮膚の表面に受容体はありません。

指でカップの表面を触れてみましょう。

なにやら、触れたときに感じます。

その「感じ」はどこに感じていますか?

ほんのすこし、軽く触れると、いつもとは違うように感じるかもしれません。

圧として感じるかもしれません。

その「感じ」は皮膚の外ではなく、「内側」ではないでしょうか?
image115.jpg



 触覚の受容体は皮膚の中にあります。

カップの表面を詳しく知ろうとして、軽く指を滑らせることもあるでしょう。

指先の指紋の凸凹が、机の表面とすれて、小さく不連続に動くので良く感じられるようになります。

なぜでしょう?

それは触覚は力学的エネルギーにより生じるからです。

指先がカップに触れたり、カップをなでたりすると、指先に「力」がかかります。

この「力」は自分の力だったり、外部からの力だったりするのですが、いずれにせよ指の外側からかかる「力」で組織が歪みます。

この歪みが触覚の受容体に「力」として伝わります。

触覚の受容体では、この「力」により、細胞の内部の電位が変わります。

つまり、外部からきた「力」が受容体内部の細胞の電気的変化を作ります。

この「変化」が電気信号となって神経から脳に伝えられます。

触覚は体内の歪(ひず)みを感じています。

触覚は「外側の世界」の「物理的エネルギー(力)」が引き起こした「内側の世界」の「変化」を感じていることになります。
嗅覚は嗅神経で感じます。

この神経はほかの脳神経と際だって違う特徴があります。

嗅神経は脳の嗅球という部分から直接、鼻の中の上鼻道の鼻粘膜に出ているのです

匂い、臭い、香りは空気中の化学物質を感じています。

化学物質が嗅神経の分布する粘膜の水分にとけ込みます。

とけ込んだ化学物質が神経末端を化学的に刺激します。

刺激された嗅神経が電気的興奮をします。

その興奮を信号として脳に伝えます。

つまり、嗅覚は「外部の化学物質により引き起こされた体内の細胞内の化学的変化」を感じています。

「外側の世界」の「化学的エネルギー」が引き起こした「内側の世界」の「変化」を感じているのです。

物理的エネルギーと、化学的エネルギーという違いはありますが、基本的には触覚と同じです。
味覚はよく分かるでしょう。

食事中に含まれる化学物質が水に溶けます。

溶けた化学物質が舌の味蕾の細胞を刺激します。

味覚は「外部の化学物質により引き起こされた体内の細胞の化学的変化」を感じています。

「外側の世界」の「化学的エネルギー」が引き起こした「内側の世界」の「変化」を感じているのです。

あれっ、触覚、嗅覚と原理的には同じです
image141111.gif

 さて、聴覚はどうでしょう?

聴覚は体から離れたものの存在を感じることができるように思われます。

音は空気の振動です。

その振動は鼓膜をふるわせます。

鼓膜の動きは耳小骨と呼ばれる3つの小さな骨を伝わり、カタツムリ管に伝えられます。

カタツムリ管は先端に行くほど細くなり、その中はリンパ液で満たされています。

リンパ液を振動が伝わり、カタツムリ管の直径と共振するところで、そこにある受容体の中の細胞に電気的変化を起こします。

この電気的変化が聴神経を通って脳に行き、音の「イメージ」を作ります
音、そのものが頭(脳)にはいるのではありません。

結局、聴覚も、触覚と同様に「外側の世界」の「物理的エネルギー(音)」が引き起こした「内側の世界」の「変化」を感じていることになります。

 では、最後に視覚はどうでしょう。これこそは「外側の世界」を直接見ているようです。

光は電磁波の振動です。その振動はエネルギーを持っています。

もし、光にエネルギーがなければ、植物は光合成をできず、二酸化炭素は酸素に変わることなく、生物は死に絶えるでしょう。

体の「外側の世界」から来た光は、眼球の中の網膜に届きます。

網膜には視細胞があり、光に当たると視細胞の中で光化学反応が起きます。

ロドプシンが光化学変化して、視細胞の中で電気的変化が生じます。

この変化が視神経を通して脳に行き、見ているもののイメージが作られます。

「外側の世界」が、眼球を通して頭の中にはいるのではありません!

頭の中にできるのは、「イメージ」です。


結局、視覚は「外側の世界」の「物理的エネルギー(光)」が引き起こした「内側の世界」の「変化」を感じていることになります。

さて、驚くべきことがわかりました。

今まで、「外側の世界」を感じていると思っていたのが、じつは単なる「思いこみ」であったのです。

「外側の世界」と思っていたものは、「外側の世界」から来た物理的または化学的エネルギーで生じた「内側の世界」の変化を感じて、作り上げたイメージだったのです。
image135111.gif

 「内側の世界」と「外側の世界」の食い違いを減らすことが、楽に生きるためには大切だとカーシブスキーは言います。

「外側の世界」を「内側の世界」のイメージに正しく映し出すことは簡単なはずなのですが、イメージを作るまでのいろいろな段階で、ノイズが入ってきます。

聴覚では、文字通りの雑音が入ってきますし、視覚では光の加減で見づらかったりします。

味覚、嗅覚も変化します。

ケーキの後のレモンはことさら酸っぱく感じますし、ハーブの香りで肉の臭みは消えます。

 また、知識や習慣の影響を受けます。

「記憶と思考」により、感じているものが変化します。

「神経と筋肉の生理学」で説明したような「体の緊張」は習慣的行動を「楽だ」という感覚と誤認するところから生じています。

「習慣」が自分の感覚を変性させています。

システム理論的に言えば、「内側の世界」は、「感覚、イメージ、思考・記憶が構成要素であるシステム」を作っています。

認知科学では、これらのイメージを内的表象系と呼び、内言や内的表象系を記号として、記号と対照、記号と記号を結合するのが、「心」の働きと考えます。

この記号と対象との結合が意味です。それを扱うのが「意味論」です。
image11111.gif

一般意味論で、カーシブスキーは3つのことを言います。

1. 地図は現地ではない。

2. 地図は現地のすべてを表現していない。

3. 地図の地図を作ることができる。
image1621.gif

 「リンゴ」というのは、「り」「ん」「ご」という音の集まりです。また、「文字」です。

それは「言葉」でもあります。

音、文字、言葉としては存在しています。

しかし、「リンゴ」という実体は、ここにはありません
logo520.gif

かつて、ネス湖にネッシーという怪獣がいることになっていました。

しかし、作り話だと分かりました。

ネッシーという「言葉」があるために、実体があると思った人は世界中にいました。

アメリカは「イラクには大量破壊兵器を持っている」証拠があると言って、2003年3月19日、イラク戦争をおこしました。

イラクで多くの市民が血を流し死んでいきました。結局、大量破壊兵器は見つかりませんでした。

文字として紙に書かれた報告や、承認の言葉は、実体ではありません。

それが実体を的確に表現しているかどうかについては、確かめなければなりません。

「言葉は上手に使わないと、戦争を引き起こす」とカーシブスキーが言ったとおりのことが、未だにくり返されています。

地図は土地の特徴を示しますが、土地そのものではありません。

同じように「言葉」と「実体」は同じものではありません。
logo313.gif

私の友人に四国の看護学校の教官がいます。ある時、讃岐うどんの話になりました。

その人は「東京で『讃岐うどん』て書いて看板挙げている店を見ると、むちゃくちゃ腹が立ちます。

あんなん、『讃岐うどん』じゃありません」と息巻いていました。
hanamaru.gif


 「では、讃岐うどんはどんなものなの?」と問うと、「讃岐うどんとは、・・・」と説明してくれました。

「でも、それは『四国の讃岐うどん』なのでしょう?

○○さんが怒っていたのは、『東京の讃岐うどん』でしょ?

同じ『讃岐うどん』という言葉はついているけど話している対象は『東京の讃岐うどん』と『四国の讃岐うどん』という2つの別物でしょう。

それを名前が似ているからと言って、怒ると自分が疲れるだけかもしれないです」と話しました。

カーシブスキーは、多くの人が「言葉・名前」と「実体」を同じと考えていると指摘します。

「名前」は「記号」でしかありません。「記号」自体に「意味」はありません。

「記号」は伝達されますが、「意味」はその記号を受けた人の中で作られます。

「東京の讃岐うどん」と「四国の讃岐うどん」は、別物です。

「四国の讃岐うどん」の中でも、あっちの店とこっちの店では違うはずです。

また、その日の天候、うどん職人の体調でも違うでしょう。

それが「個性」です。そう考えると、「名前」で怒るのは、賢いことではないかもしれません。

このように、習慣的な言葉の使い方、解釈の仕方から離れて、人や出来事の「個性」を伝えられる表現をトレーニングすることが必要だとカーシブスキーは考え、教育しました。
logo314.gif

自分の好きな俳優を思い浮かべてください。
その容姿やしぐさを、思い出せるままに記述してください。

もし、ビデオを持っているなら、再生しながら記録してもよろしいです。

すべてを記録できましたか?

特徴をすべて列挙できたでしょうか?髪の色は?瞳の色は?肌の色は、顔と腕では違うでしょう?

眉の形、長さ、唇の形、頬の具合、肩の形、腕の長さ、肘の張り具合、体幹の形など、細かく書いていく
と、どんどん項目が増えます。  
しぐさはどうでしょう?

どの映画のときにどんなしぐさをしたでしようか?

どんな演技が好きですか?どんなせりふが魅力的だったでしょう?

その俳優のどんなことを知っているでしょう?

あなたがすべて知っていたとして、そのすべてを記述できるでしょうか?

それをほかの人が読んで、誰のことか、わかるでしょうか?

私にはできません。たぶん、多くの人もできないでしょう。

もし、記述できたとしても、それは一時点の姿です。もし、その人を書き表せといわれたら、大河小説ができるでしょう。

小説を書き終わっても、その俳優のすべての人生を言葉にはできません。

人間は言葉で表現するには複雑すぎる、と言うよりも「言葉」という手段の持っている表現能力が、あまりにも小さいのです。

「言葉」は現実のものを「一般化」します。一般化されて「言葉」となった「現実」は個性を失います。抜け落ちていくものがいっぱいあります。

 言葉は「そのもの」のすべてを表しません。
logo57.gif
言葉で、言葉を定義することができます。

たとえば、「紫とは青と赤を混ぜた色である」、「犬は動物の一種である」、「appleはリンゴのことである」というように言葉を言葉で定義できます。

あらかじめ赤、青、色という言葉が示すものを知っていなければ、「紫は赤と青を混ぜた色である」という文章を理解できません。

つまり、「紫」を理解できません。

「紫は赤と青を混ぜた色である」という文章から、知ったことは、「紫そのもの」ではなく、「赤と青を混ぜた色」には「紫」という「名前」がついているということです。

 言葉で言葉を定義したときには、実体ではなく、「名前」を知るだけです。

ですから、言葉で言葉を定義していくことを重ねると、実体のないものができあがることがあります。

「ドラゴンとは爪、角、翼を持ち、空を飛ぶ生き物である」という文章は、「ドラゴン」という言葉を言葉で定義しています。

しかし、文章があることがドラゴンが実在する証明にはなりません。

「火のないところに煙は立たない」のですが、「実体のないところに名前はできる」のです。

「言葉」は抽象化するという作用を持つと同時に、実体のないものを作りうる危険性を持っています。

この特性を「地図の地図を作る」と表現しました。

言葉が「地図の地図を作る」ことを理解して使うことが大切です。

 言葉の使用には注意しなければなりません。
http://awareness.secret.jp/indexnews.shtml
さあさんの秘密の小窓は知的刺激に満ちていて、興味深いです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

taigen太玄

Author:taigen太玄
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。